寺田光輝の医学部入学は裏口じゃない?!4つの理由を徹底調査!

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元DeNA投手の寺田光輝さん。

寺田光輝さんは2024年現在、東海大学の医学部へ編入し、医師になるために勉強をされているそうです。

しかし、2021年に医学部へ入学したさいは裏口入学ではないかとの心ない声もあったそう。

この記事では、寺田光輝さんが医学部へ裏口入学していない理由について調べましたのでご紹介いたします!

目次

寺田光輝の医学部入学は裏口じゃない4つの理由!

寺田光輝さんは26歳から27歳のときである2018年、2019年の2年間DeNAに在籍し、29歳の2021年6月に編入試験を受け、10月に東海大学医学部へ編入しています。

野球選手を引退してから2年も経たずに医学部に合格しているのはすごいことですよね!

しかし、その合格までの早さがより裏口入学では噂される原因になってしまったようです。

当然ですが寺田光輝さんは裏口入学はされていません。

それでは寺田光輝さんが医学部に裏口入学をしていない理由をご紹介いたします。

理由①:授業で積極的に発言

医学部に裏口入学ではない1つ目の理由は「授業中に積極的に発言している」ということです。

寺田光輝さんは医学部に裏口入学だと言われたとき、「ふざけるな」という気持ちになったといいます。当然ですよね。

しかし、寺田光輝さんは「逆の立場で考えたら、プロ野球選手が短い期間の勉強で医学部に受かったとしたら、裏口入学と思ってしまう人はいるかも」とも思ったそう。

そのため、寺田さんは疑いを払拭しようと、授業中に先生に「これわかる人?」と聞かれた時には積極的に答えるようにしたのだといいます。

そうしていたら、同級生たちが「寺田って本当に受験で受かったんだ」となってきたそうです。

寺田さんは、その周囲の変化が本当にうれしかったといいます。

理由②:医者家系の生まれ

医学部に裏口入学ではない2つ目の理由は、「寺田さんが医者家系の出身である」ということです。

寺田光輝さんの家系は祖父の代から医師の家系なのだそう。

父の晃さんは三重県伊勢市の寺田クリニックの院長を務め、弟の有輝さんも整形外科医となっているそうです。

親戚にも医師がいるそうで、常に医療が身近にある環境で生まれ育ったのだとか。

そのため、寺田さんの中で、進路はもともとプロ野球選手を目指すか医師を目指すかの2択だったといいます。

はじめは野球選手の夢を追いプロ野球選手となりましたが、戦力外通告を受けプロ野球選手としてやりきったと実感した寺田さんは、数日で医師を目指そうと切り替えることができたそうです。

野球をやめて、医師を目指すことについては、特に祖父母が喜んでくれたそうです。

両親もうれしそうに見えたそう。

寺田光輝さんは医者の家系で育ったため、医者を目指すような環境がもともと整っていたのでしょうね。

寺田さんは、自身でも勉強は中の上くらいはできているという自覚があったそうです。

そのため、そっちの才能はまだ燃やしきっていないと思い、医師を目指すことにしただといいます。

理由③:地頭がいい

医学部に裏口入学でない3つ目の理由は「地頭がいい」ということです。

寺田光輝さんは三重県立伊勢高等学校に通われていましたが、伊勢高校の偏差値は61~64のようです(みんなの高校情報より)。

また、伊勢高校は南勢地区でトップクラスの進学実績を誇るそうで、生徒の半数が国公立大学へと進学しているのだとか!

寺田光輝さんも国立大学である三重大学教育学部に現役で合格されています。

三重大学教育学部の偏差値は50~62ほどとのこと(マナビジョンより)。

その後、三重大学は中退しますが、その後2年間浪人した上で国立大学である筑波大学体育専門学群に合格しています。

筑波大学体育専門学群の偏差値は67と非常に高いです(マナビジョンより)。

偏差値の高い国立大学に何度も合格しているのは、元から頭がいいのでしょうね。

頭の良さはご本人の努力ももちろんあると思いますが、家系に医師の方が多いので、遺伝もあるのかもしれませんね。

理由④:忍耐力・集中力がある

医学部に裏口入学でない4つ目の理由は「忍耐力と集中力がある」ということです。

野球選手に限らず、スポーツ選手は厳しい練習や試合に耐える忍耐力や集中力がありますよね。

忍耐力や集中力は勉強をする上でも大事な要素ではないでしょうか。

寺田光輝さんは、一度は野球選手をあきらめたもののそこから這い上がって24歳でプロ野球選手になったという経歴の持ち主です。(経歴は後述)

医学部を目指し始めた当初はバイトをかけ持ちしていたそうで、1日5時間程勉強していたそうです。

その後、バイトを1つやめてからは1日平均7時間くらい勉強していたのだとか。

バイトをしながら医学部受験の勉強を続けるのは大変だったでしょうね。

医学部入学後の2024年現在も勉強のかたわら、主に子ども向けの野球指導で生計を立てているのだとか。

DeNAのスクールの講師や、投球・打撃フォームのAI動画解析アプリ「Force Sence」で、指導サービスのピッチング部門を担当もしているそうです。

寺田光輝の経歴

寺田光輝さんの経歴をご紹介いたします。

寺田光輝さんは1992年1月5日生まれ三重県出身です。

小学生から野球を始めた寺田さんは、地元の三重県立伊勢高校の野球部で活躍した後、プロ野球選手を志して三重大学教育学部へ進学します。

しかし、野球部のレベルが高くて自分には無理だと思ったそう。

そのため、進路を考え直そうと2~3か月で退部し、大学自体も休学してしまったのだといいます。

そして、改めて医大受験を目指して勉強を始めた寺田さんですが、その年度に受験した三重大医学部は不合格。

この時期、寺田さんはプロ野球選手と医師の間で揺れ動いていたそうです。

進路を悩みながらもプロ野球選手になる夢も追いつつ、アルバイトをしながら夜には出身中学のグラウンドで練習をしていたのだといいます。

練習の成果がは徐々に表れ、高校時代よりも最高球速は5キロほどアップし135キロに。

手応えを感じた寺田さんは医学部ではなく、筑波大学を受験し合格しました。

2012年筑波大学体育専門学群に入学し、野球部に入部。

首都大学野球リーグで活躍しますが、筑波大学を卒業するときには銀行への就職が決まっていたのだとか。

しかし、そんな寺田さんに、当時の助監督が「野球を続けてみろ」とアドバイス。

そして助監督が在籍していたこともあるBCリーグ・石川ミリオンスターズのテストを受けて2016年に入団し野球選手になる夢を見事叶えたのだといいます。

入団2年目となる2017年には、NPBドラフト会議で横浜DeNAベイスターズに6位指名され2018年に入団

2019年に引退し、2021年に東海大学医学部に入学しました。

まとめ

寺田光輝さんの医学部入学が裏口入学ではない3つの理由をご紹介しました。

2021年に東海大学医学部に入学した寺田光輝さんは、順調にいっても大学を修了するのは2026年度です。

寺田さんは将来的な専門科としては、スポーツによって生じる内科的問題の予防、治療を行う「スポーツ内科」に興味を持っているそうです。

元野球選手という経歴を活かし、スポーツ専門のお医者さんとして唯一無二の存在になってほしいですね。

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